網代港のご紹介

網代港のご紹介

網代港の風景

網代港の風景

網代港は伊豆半島の東海岸、静岡県熱海市の南端に位置する小さな漁港です。
網代は古くから漁業が盛んな港で、江戸時代には各地の廻船が入港するなどして賑わっていました。
数年前まではタイ・ブリなどの養殖も行われていましたが、現在は定置網漁主体になっています。
また、漁港のすぐそばには網代温泉があり、漁港と温泉を結ぶ道路はひもの銀座と呼ばれ、多くの干物店が軒を連ねています。

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網代昔話

頼朝の一杯水

源頼朝は伊豆の配所の蛭ヶ小島で、この地を中心に流人として二十年を送りました。頼朝の有力な目付役である伊東祐親が、中央権門の番役で3年程京都に上っている間に、祐親の娘、八重姫と頼朝との間に千鶴丸と呼ぶ男子が生まれました。
帰郷しこれを知った祐親は平氏への聞えをおそれ、千鶴丸を滝に捨て、頼朝を殺そうとしました。頼朝は危難を逃れ伊東を脱出し、伊豆山へ逃れる途中、険しい山路を登っていくと喉が渇ききってしまいました。
頼朝は従者に「水はないか」と聞くと「この上に5・6本の梅の木が見える、あそこまで行けばきっと水があるでしょう」と答えました。
頼朝はそれに力を得て山路をよじ登りましたが水はありませんでした。がっかりして腰をおろした時、腰に差していた刀の鐺が土に当るとそこら水がにじみ出てきました。そこを掘ると、清水がこんこんと湧き出し、その水で喉の渇きをうるおしました。

月見ヶ丘公園

園内にある馬頭観音は、天正18年豊臣秀吉が小田原攻めの時、此処に仮の城をもとめ里人より軍馬を徴発し、その愛馬の武運長久を祈願し建立されました。しかし、元禄元年(1688)辰の満水という大洪水により流失され、そのままとなっていましたが、昭和32年に地元有志により再建されました。

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