会社概要
私たち網代漁業株式会社は定置網漁業の伝統を継承し、漁業者を育み水産業を通じて地域社会に貢献します。
海が大好きで、そこを職場に決めた。
環境に配慮した自然にやさしい漁業をしたい。
仲間と共に豊かで文化的生活を自然の中で実践したい。
網代は相模湾からの深海が湾内至近まで入り込む天与の優秀漁場であります。
穏やかな湾内は波浪や急潮流を和らげ、操業の安全と省経費で自然にやさしい定置網漁業の経営を可能にしております。
垣網に接近して回遊する魚群の数割だけを生きたまま捕獲できる定置網は、超高鮮度の魚を提供できると共に出荷調整、畜養や幼魚の放流など水産資源に配慮した計画的な漁業が可能であります。
食品としての魚の安全性と情報の公開、また流通の簡素化に取り組み、安心安全な魚を食卓にお届けします。
あなたも一緒に働いてみませんか?
企業理念
- 漁業従事者の社会的地位の向上を実現する。
- 漁業従事者の所得向上と生活の安定を実現する。
- 高鮮度海産物の安定供給による社会貢献を実現する。
- 定置網漁業における伝統漁法の伝承と先端技術の開発に取組む。
- 定置網漁業の後継者育成と職場教育に取り組む。
- 楽しく漁業に取り組む職場をつくる。
概要情報
- 会社所在地
- 静岡県熱海市網代100-7
- TEL
- 0557-68-0126(代)
- 会社設立
- 昭和42年11月18日
- 資本金
- 94,500,000 円
- 事業内容
- 定置網漁業・魚類の畜養および養殖 海産物流通販売・水産加工
- 取引銀行
- 農林漁業金融公庫 三島信用金庫 網代港漁業協同組合
- 保有船
- 第28鵬漁丸 他10隻
会社のあゆみ
- 昭和42年12月
- 網代漁業株式会社創立 資本金63,000千円 造船事業開始
- 昭和44年11月
- 第二鵬漁丸進水(木船)100型ローラー装備
- 昭和47年9月
- 第六鵬漁丸進水(FRP)
- 昭和48年2月
- 第七鵬漁丸進水(FRP)
- 昭和49年3月
- 第八鵬漁丸進水(FRP)
- 昭和50年3月
- テレサウンダー設置
- 保有船
- 第28鵬漁丸 他10隻
会社沿革
文化文政年間(1804~1830)に創業した網代の根拵網は、歴代の経営者により、大敷網、大謀網、落網と変更改良が加えられ現在に受け継がれてきた。
古くから網代村の経済を支え地域の振興発展に寄与してきた2大漁場は時代の変化と共に経営形態も変遷していった。明治から昭和初期までは網代村で漁業権を免許され、漁場を賃貸していたが昭和11年に町民620世帯からの出資を受けて大網組合を結成し村民による経営となった。
昭和28年には網代港漁業協同組合が発足し定置網経営は漁協自営部に引き継がれる。昭和40年からは網代定置漁業組合と名称を変更し自営を続けた。
昭和42年、定置網の経営は網代漁業株式会社に引き継がれ資本金6.300万円、288名の町民が株主として経営に参加した。昭和57年、赤石漁場の台風急潮による流出事故が発生、施設の再整備を目的に資本金9.450万円に増資。経営の安定化を図るとともに、定置網漁業の技術開発に力を入れ、漁網の改良や新たな漁労機械の開発などを推進した。
順調な水揚を記録してきた2漁場も平成に入ると魚類の来遊量が減少、水揚量が低下した。その頃から設備の小型化や人員削減などコストを抑える経営に変化した。定置網の小型化や設置場所の移動は漁獲量のさらなる減少を招き苦しい経営を強いられ、株主配当も平成6年度を最後に行われなくなった。
平成14年7月、赤石漁場が台風急潮により流出、水揚げ大幅減少となる。さらに平成17年2月、赤石漁場が急潮により全損、壊滅的被害となる。18年度からは赤石漁場休業とし古網漁場だけの経営となる。漁網、船舶、施設、の老朽化、従業員の退職など会社運営が困難となる。平成18年12月古網漁場を撤去。平成19年3月古網漁場を新たに建て込み新体制で操業開始、現在に至る。以下は歴代代表取締役
- 初代
- 牛窪 敏郎
- 昭和42年12月~昭和51年1月
- 二代
- 平井 貞雄
- 平成1年12月~平成4年1月
- 三代
- 内田 喜久治
- 平成1年12月~平成4年1月
- 四代
- 間瀬 悦基
- 平成4年1月~平成 6年7月
- 五代
- 小松 隆男
- 平成6年7月~平成 16年1月
- 六代
- 山口 晋一
- 平成16年1月~平成17年6月
- 七代
- 土屋 隆
- 平成17年6月~平成19年2月
- 八代
- 泉澤 宏
- 平成19年2月~